2011年05月05日

日本テレビ さよならぼくたちのようちえん レビュー

芦田愛菜現象を引き起こした、ドラマ「MOTHER」のスタッフによる、ドラマスペシャル。脚本は坂元祐二。あり余る才能を賞賛されながらも、「MOTHER」では、何か「作る」者の物怖じが感じられた。なぜだろう。キャスト達のずば抜けた演技でドラマは佳作に仕上がっていたが、 本当はもっと遠くに行けたと思っていたかもしれない。そこでくすぶらせていた「生のチカラ」を今回のドラマに託したという気がする。内容は、大人に内緒で遠くの病院に入院している幼稚園友達の見舞いに行くという物語であるが、こどもの神のような心の痛みを、自由にそして狡猾に存在証明していきながら、印象的な出来事でつづっている。それぞれ子役はみな素晴らしかった。ラスト、芦田愛菜が病気の友達とふたりきりの卒園式をする場面、友情を守りながら別れの儀式をするくだりまで、色のついた出来事がこども達に降り注ぎ続ける。この世の値うちを鳥瞰するようなこども達のそれらに対する視線。それがあるポイントでとどまり続けることがこのドラマの救いであり、さわやかな情感を生んでいる。一見、こどもへの効果が問題視されそうな非日常的な人物の登場は、実はその救いのためのドラマツールとして機能しており、夢から覚めてこども達はまた歩き出す。さて、大人の私はこれからどこへいったものか。やはり夕陽に向かって走るのか・・・うう。

さよならぼくたちのようちえん
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2010年07月26日

フジドラマ「夏の恋は虹色に輝く」第1回 2010年7月19日放送 あらすじ&レビュー

あらすじ
俳優楠大雅は、歴代の名優楠航太郎の息子。幼い頃からマスコミの餌食になり、いまだに自分のIdentityも確立できていないと感じている・・。とある日、同じ2世俳優植野慶太とスカイダイビングをしていた時、ひょんなことをきっかけに、「運命の女性」とめぐり合う。女の名は北村詩織といい、魚市場、缶詰工場に勤めていたが、缶詰工場閉鎖の憂き目にあっていた。いまだ、自分の気持ちに素直になれない大雅だが、慶太に詩織のことをうまく伝えられなくて、詩織を意識していることを悟る。そしてわかれた場所まで出かけ、詩織を探しに行く。大雅は、浜辺で動物のように泣いている詩織を見て話しかけるのだが、詩織は急にあっけらかんとした様子ではしゃぎだす。どうも大雅に好意を抱いているらしい。その理由はほどなくして分かった。詩織は一ファンとして父航太郎とレターのやり取りをするほどの深い仲だったのだ。栓が抜けたようにがっくりする大雅。その後、父親が入院したということで見舞いに行った大雅は、息子の出演するDVDを見た父から、もっと自由に生きろと言われる。それが最後の言葉となったあとで、大雅は父に感謝の言葉を述べられなかったことを深く後悔する。仕事もうまくいかず、死んだ父にやつあたりをするような態度をとった大雅に、詩織は言う。「航太郎さんはどう映るかなんて気にしない、見る人を楽しませようとする素晴らしい俳優だった。そんなお父さんのに照らされているあなたは誇りを持つべきだ。」と。
誰も居ない墓の前で素直に父親と向き合う大雅。そこに来た詩織は、光に照らされながら空にくっきりと浮かぶ虹を認めるのだった。


レビュー
はじめに相関図を見て、面白いと思った。欲望偏重の社会に翻弄され、笑顔もままならない位に「世間すれ」してない、瑞々しい出自の2世俳優。その存在が持たらすであろう視界のアンバランスさに、ぐっと心を惹きつけられた。折りしも先日、脚本大森美香氏の「ヘブンズ・ドア」を見たところでもあり、久しぶりにレビューしてみようと思った。その脚本には、ドラマツールとして、共鳴力を感じさせるものがあきらかにあるだろうと期待しながら。
見終わった感想であるが、やはりこの人にかかる期待は大きいものがあると実感する。その表現のもたらすものは、ツリーかはたまたタペストリーか、魔界にでも通じそうなものが順次連れてこられそうな気配である。視界からもたらされ、切り離されたペーソスが縦横無尽にクレッシェンドされてゆく。それが作品の小箱にしまい込まれ、世界の端に柔らかなまなざしをもたらす。メディア過多による万能のおえらい教師不在の世の中にあって、インスピレーションはあたらしい結び目にどう応えうるのか。いずれにせよ、どこからでもアプローチできるいい位置につけている。似姿がもたらすかみ合わせの妙を含め、人はどんな進化をなしえるのか。少し修羅めいた冷凍美の詩織の「愛の説得力」と、「現代社会」の落とし穴などと重ね合わせて見るのがいいんだろう。
たべすぎも何なので、手まりをつくように、かぞえ歌のようにたのしく拝見することにする。
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2008年01月20日

TBSドラマ「だいすき!!」第1回 2008年1月17日放送 あらすじ&レビュー

障害者のワークセンターに通う福原柚子。軽度の知的障害を持っていたが、同じセンターで働いている、同じ障害を持つ沢田草介と恋人同士。実は、柚子はすでに草介の子供を身ごもっていた。だが、草介はある日、事故で突然この世から居なくなってしまう。頑なに子供を生むという柚子に母の美代子は猛烈に反対するが、弟の蓮は子供を産ませてやりたいと言う。小さいときからいじめられる姿を見ていた蓮は、姉に好きな人ができて嬉しいと思っていた。だが、何よりもかけがえのない我が子が子供を産み育てる苦労を負えなどと、美代子には言えるはずがない。それが「お母さんみたいなお母さんになりたい」という柚子の一言で心を動かされ、美代子は柚子を応援することに。そして柚子は女の子を出産する。
草介の忘れ形見を、柚子はひと時も離れず大事にするのだが、保健センターの勝川は、柚子の育て方は乱暴で、何か事が起こる前に、施設に預けるべきだと言う。三ヶ月検診の日、柚子は離乳食の本に夢中になるあまり、赤ん坊を置いて一人で列車を降りてしまう。幸いにも居合わせた女子高生に保護され事なきを得る。この事件に対し、勝川は柚子の子育てに対する熱心な姿を目の当たりにして、「あなたのその愛情で、ひまわりちゃんをしっかり育ててください。」と考えを改めるのだった。

人は生まれ人になり、そして人を産み育てていく。そういう人生の営みを、「障害者」の自立を通して浮かび上がらせているドラマ。脚本の篠崎絵里子氏については、受賞歴こそないが、「クロサギ」「いま、会いにゆきますTV版」などの印象的な作品を手がけており、きっと何か目に見えないこだわりに満ちた人なんだろう。こんな作品を手がけるチャンスを謹呈された栄誉を感じていると思う。
なんともカラフルな第1話を見たが、障害者問題を遡及する観点から見れば、「あんたに分かるものか」というところまでいきそうではあった。胸を張って生きる柚子の姿が向き合っているもの、それは社会という複雑怪奇でドロドロしたものではなく、自分自身の愛であろう。繰り返しばかりの人生を、時を忘れるほどにせいいっぱい吸い込みながら、母としてのありったけを見せてゆく柚子の姿。
彼女は「障害者」だが、子育てのマニュアルを一句一句暗唱したり、我が子への心情を切々と訴えることのできる、とっても心の健康な、救いのある女性である。そこにはすでに、「分析できる自己」「余剰を働かせる自己」が存在していて、どんな見地で考える算段だとか、どんな配分で生きるがいいのかという問題意識を捉えている。しかしそこでぶつかるのが社会のものさしや、コミュニケーションの問題だ。それは時として、人としての生き方にケチをつけ、あるべきものを生煮えで押し付けようと巡回している。その所謂「巡回、コミュニケーション力」なるものが、理由もなく安易な正当化として掲げられる昨今の状況を対置する必要はないだろうか。このドラマで作り手側は、「巡回」することではなく、その反対である「内に留まること」を示唆しており、私ははじめ、そのこだわりに興味を抱いた。否定してもしきれない素のものを、まっさらな気持ちで眺める、その一工程がなければ、到底「いのちの思想」にはなりえないのではないだろうか。それはさらに、道は自然についていくのではなく、自らの潔癖なひたむきさが呼び込むものなのだという、説得力のある人生哲学にもつながっている。

というわけでありまして、「そこまで言わいでも」って程滔滔と述べてしまったが、次回以降が楽しみだ・・・。ウンウン。

追記
企業の求人募集欄によく「コミュニケーション能力」とあるが、この言葉には常にオエッとなってしまう。なにか個人を歯車にするための体裁のよい言葉に聞こえてしまうのだ。ガチガチに着飾った「コミュニケーション能力」がなくてもいいんだ。このドラマではその辺りを表現してもらいたい。
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2008年01月12日

TBSドラマ「エジソンの母」第1回 2008年1月11日放送 あらすじ&レビュー

離婚して息子と共に上京して来たばかりの花房あおいは、ノーベル賞を授賞したわが子が式典でスピーチする夢を見ていた。夢から覚めた母に、息子の堅人は、「どうして僕はどんどん大きくなるのにママは大きくならないの?」と問う。あおいは「ママは充分大きいから」と答える。
こちらは大人の話。鮎川規子は婚約者から別れを切り出されている。「君は可愛いし綺麗だし自慢できる。だが面白くない。」婚約者の美浦はそう言い、規子を家事機能のついたバービー人形だったと酷評する。その様な人形よりいっそキャベツ人形の方がましだ。僕はもっと人生を楽しみたいんだと美浦。
規子の模範人生は、小学校の教師であるためかもしれなかった。今日も朝の職員会議に模範的な回答をしてしまう自分がいる。学年主任の加賀美も、そんな規子を頼りなく見ているみたいだ。
さて、あらぬことかそんな規子のクラスに「問題児」の堅人が転向してきたのだった。初日から堅人は規子を悩ませる。「なぜ1たす1は2なのか?」杓子定規な規子に、堅人は納得しない。ミカン1個とミカン1個を足しても2個にならないと堅人は主張する。左のミカンを割って2個にしたらあわせて3個になるというのだ。さらにその房を取り出したら、1たす1は9になり、さらに・・・。チョークを片手に割って入った加賀美の弁護も効き目及ぼすどころか、烈火のごとく怒りをたたえた頑なな怖い大人の姿がもう1つ増えただけ、とうとう教室は、はちゃめちゃになってしまう。
次の日、規子から堅人のことについて聞いた美浦は、堅人に興味を示す。嘘と本当にまつわる堅人のエピソードは、そのままソクラテスとプラトンの自己言及のパラドックスであり、それに気がついた堅人はもしかすると天才かもしれないというのだ。
夜、堅人の家を訪れる規子は、母あおいと対面することに。堅人は沢山の本に囲まれて、何かに熱中している。規子は、堅人は学習障害なのではなく本当は勉強が大好きなのだと知らされる。
加賀美にあおいが呼び出された木曜日、それは理科室で起こった。堅人は家で読んだフランケンシュタインの物語にあるがごとく、人体模型に電流を流して立ち上がらせようとする。動くマネキンを窓越しに見た加賀美が悲鳴を上げ、そこらじゅう大騒ぎに。床にたたきつけられた人体模型はバラバラになってしまい、堅人は大目玉を食らう。だが、その場に居合わせたあおいは堅人をかばい、この子のキラキラした好奇心を見守ってほしいと加賀美に懇願するのだった。その姿を見て心を動かされる規子。
規子は、堅人と2人きりで話をしてみる。1+1=2 これはただの決まりごとだということなの、とりあえず。あきらめたように言う規子に、堅人は「分かった。」と言う。あおいが父と離婚した時、「とりあえず」前に進むと色々なものが見えると言われたことを思い出したのだ。堅人は、1+1=2 だと分かったら何だか楽しくなってきたと笑う。複雑なものがほぐれた気持ちになって、規子の頬には和やかな涙が。
問題解決の矢先、大事件が。教室に入ってきた規子の目の前で、鳥の真似をした堅人がベランダから飛び降りる。

脚本は大森美香氏。「引き出し」を感じさせる人だ。複雑な相を呈する事象に氏の待ち針が何気なく刺さるや、あるイメージが両輪で膨らんでゆく。それはたとえば線を引いたり、光を当てたり、小箱にしまったりといった、言わば、「今、何かするべき」ことを示すものだ。同時にそれは、殻に閉じこもった存在にも誠意ある対話を促す。何かについて語るその呼吸感は、「あること」への根本的な反省の姿へとつながっており、これからの展開にも目が離せない・・。とろっとした表情で下を眺めていた堅人、ヴァーチャルな世界から傷つかず無事に巣に戻ってくれるだろうか。そして7歳の子にのしかかる重圧を蹴りとばしてゆくあおいの活躍度は?「見られる側」から抜けきらないOL風情の規子に飛躍はあるのであろうかっ?あと、本当の勉強の楽しさとは・・。いったい大人が子供に与えてやれるものとは何と何?そしていつ、キングスクロス駅の9と3/4 番線は見つかるのだろう。そんなとこかしら。
迷える子羊各位、ひとつひとつ要注目である。ある観点と違う観点から見た世界は「まったく違ったものに見えうる」のだから・・・。
posted by 綾悦 at 14:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 2008年第1期ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1月11日、ブログ再開。

実に久しぶりのレビュー。
色々ありました1年6ヶ月もの日々。
美しく立ち上がって、私は生きちょります。(なんてひとりよがりな求心)

生きてるだけじゃダメだから、というわけでレビューを再開。
謎は謎を生み、清らかな思いは平和と折り合わない。心晴れぬままについうつらうつらとしていると、突然雷鳴のように、「またやってみるか・・」と思った次第。このまま終わるわけにもいかんだろう。
とりあえず、「エジソンの母」「だいすき!」今クールはこの2本でいきます。
賑やかな性格ではないですが、ドラマ好きの皆さん、よろしかったら対話しませんか・・。
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2006年06月25日

大河ドラマ 功名が辻 第二十回〜第二十四回

二十回〜二十四回
光秀が討ち取られ、その後の跡目争いを秀吉が抜け出すまで、官兵衛の投獄から五話が過ぎている。濃姫は夫と骨をうずめる道を決め、本能寺に自らの秘密を封印する。市と共に信長を支え続けた長い年月が、瞬間止まるように亡くなっていった。自らの意志で、決然と定めを守り抜いた女性の清らかにして壮絶な最期だった。
一豊は、光秀に心のおおもとの所で分かち合うものがあり、光秀の死には内なるかなしみを宿したことだろう。たとえ謀反と言われようと、天下の公理としてそれを起こせる強さにはむしろ敬服さえしていたのだ。光り輝く信長と同様にして、光秀は我が身の糧から逃げることができない一豊の心に足跡を残したことになる。































男達は武器で戦い、女達も強い情念と豊かな才知で生き延びる。開運の馬で評判を買った千代。事の本質を掴むことで人を動かし、皮肉にも戦争に耐える美徳として後世に語り継がれることになった。今に生きる人間の生き様に対し、安逸な美徳に対する警鐘を備えた逸話だ。
さて、これからやってくる物語は一豊にとって、天命の香りから潜在する野望のせめぎ合いに形を変えて行く。閉じゆく光秀の瞳に映った光の傾斜に、千代達の幸せを守っていくことが何よりも大事なのだと一豊は悟ったことだろう。
秀吉の次には家康が控えている。数奇な運命を持った人々の悲劇が、一つずつきれいな花を咲かせていく。乱世に流されず、白を白として死ぬまで自分らしく生き抜くことは可能なのだろうか。そんなテーマが隠されている。


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2006年05月20日

大河ドラマ 功名が辻 第十九回 2006年5月13日放送 あらすじ&レビュー

第十九回 天魔信長
「よねはおとなしいしとやかな娘にございます。」と書かれていた千代の手紙を受け取る一豊。ふと、無事長浜に帰れるのかと不安になるのだった。六平太は、「織田家を見限りませぬか。」と毛利側に通じ画策していた事を告げる。自分はもう千百石を知行する身だとその申し出を拒否する一豊に、「命あっての千百石ではないか。」と言い残して六平太は姿を消す。
































光秀の娘、玉子は信長の命令により細川忠興に嫁ぐことに。「忠興様は幼い頃より存じ上げております。玉はきっと幸せになりまする故。」と、玉子は父の持たせようとした懐刀を返す。玉子の話を聞いた千代はよねを見ながら感慨にふける。
荒木村重が毛利に寝返った。秀吉は村重を説得しに行くことを決意する。「こいつは運を持っておるのだ。」と、秀吉は一豊を連れて摂津有岡城へ。だが、村重はことがおこったからには後には引けぬと、秀吉を認めながらも取り合おうとしなかった。さらに村重は嫁いでいた光秀の娘ともを返し、決死の覚悟で持久戦を構えた。秀吉勢からはとうとう黒田官兵衛が有岡城へ出向くが、着くやいなや消息はとだえてしまう。
「筑前守には官兵衛が必要なのだ。」と半兵衛は虫の息で呟く。程なく千代から見舞いの手紙が来るが、半兵衛はすでに臨終の時を迎えていた。半兵衛は秀吉と一豊の前で、安土殿には天下は取れない、もう少し生きていれば殿と一緒に祝えたものをと悔しがり、最後に「私が生涯好きであった女子は千代殿じゃった。」と言い残して息を引き取る。

レビュー
半兵衛の謎が明らかになり、物語に少しばかり爽やかなメロウさを宿した回である。信長、濃姫、市、村重など、己とは何かを語り、そしてその物差しにすがり生きる人々の姿が描かれている。物語もだんだん佳境に差し掛かってきたが、舘ひろし演ずる信長の持ち味が十分発揮されているのは特筆すべきことだろう。人々の怨念につゆほどの涙も見せない信長のそら恐ろしさが幻影のように冷たく、残りの人々を巻き込んでいくすごみが静かで圧倒的だ。それだけにさらに濃姫の存在が浮き立ち、力ある言葉を吐かせている。そこにある不通の感覚は、なにがなんでも愛を守り抜く千代や一豊と対照的だが、リアリティの背後にある、終わりない超越性への入り口を思わせる。



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2006年05月13日

大河ドラマ 功名が辻 第十八回 2006年5月13日放送 あらすじ&レビュー

第十八回 秀吉謀反
近江に引き上げてきた秀吉を信長は許すことなく、秀吉は長浜で蟄居を命ぜられる。秀吉は気が抜けたようになり、ねねもお先に浄土へと覚悟を決める。だが、半兵衛のある策によって秀吉は窮地を免れる。それは、信長の近くにいる猿楽師達を呼んで猿楽の宴を開き、信長への忠信を高々と宣言することだった。






























宴の席で秀吉は、「このわしは、上様のお草履を抱いていた頃より、片時も我が身の事を思うたことはない。すべて上様の御為、この世に生まれ出たのも息をするのも上様の御為。」と言ってのけ、状況を察したねねも酒をあおる。千代も酒を飲み、踊りを舞う。座は大いに盛り上がり、大成功に終わった。
「もし千代が男に生まれていたら、半兵衛様をしのいでいたかもしれん。」と言う一豊に、「女子でなければだんな様の妻にはなれませぬ。」と千代。
松永弾正の信長への謀反で、運良く秀吉は信長から弾正を討てとの命を得る。よねと手を合わせて一豊の無事を祈る千代だった。
信貴山に赴いた秀吉軍は、弾正をあっという間に取り囲んでしまう。
「頭を使え。」と秀吉は一豊に言い、信長が平蜘蛛の釜を欲しがっていたことを伝えるようにと、一豊を使いに出す。一豊は平蜘蛛の釜を献上する代わりに弾正を説得しようと試みるのだが、その話し合いは無駄に終わった。弾正との和睦を取り計らった一豊が帰るや否や、信長の命令で秀吉軍は弾正の城に総攻撃をかける。弾正は城ごと爆死した。
子供を手にかけてしまったことで一豊は悩む。吉兵衛は、「世は戦国、戦うは我らの定め、逃げ道はございません。」と一豊を力づける。我が家に戻り一豊は、千代と娘と三人で団欒の時を過ごす。
信長の命令で秀吉は中国へ、光秀は丹波へと赴くことに。柴田勝家とどうもうまくいかない秀吉に、「生きてること自体が辛い事だ。」ともらす光秀。濃姫に別れを告げに行く。濃姫は光秀にも天下人の資質があると言い、光秀の肩に散った落ち葉をすくって別れに答える。
中国での秀吉の戦いは、三木家の寝返りで困難を極める。六平太は、一豊に織田家を見限らせようとしていた。

レビュー
秀吉の窮地に半兵衛の最後の活躍が見られる回。ツボを抑えた千代の才覚が現れ、一豊に更なる癒しを与えている。また、切羽詰った秀吉の態度から、己に巣食う魔物を垣間見る回でもある。信長をしのぐ世紀の悪人と伝えられている弾正の平蜘蛛の釜の逸話が登場し、精神的な財が取引に使われていたことの当時の習慣もちょっとばかり伺われている。様々な欲望がひしめく人の世、なかなかうまくいかないのは当時も今も同じである。光秀に光を当てることが「人間の所業のせめてもの反芻」といった効果を生んでいる。


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2006年05月07日

大河ドラマ 功名が辻 第十七回 2006年4月30日放送 あらすじ&レビュー

第十七回 新しきいのち
血のつながった子供が出来た事で、法秀尼、きぬをはじめ千代の周りが賑やかになって来る。一豊は、男の子が生まれたら秀吉の一字をもらって秀豊と名付けると言う。千代は女の子が生まれた時は、よねという名前にしようと考えていた。































秀吉は、副田甚兵衛を旭姫の婿にしたく思っていたが、甚兵衛はなかなか承知しない。秀吉は「これは上意である。」と言い涙を流して甚兵衛を説き伏せる。「お前様の人たらしは見事でございます。」とねねは半分あきれ顔で、一番大切な旭の気持ちを慮るべきだと秀吉をしかる。
その頃竹中半兵衛は病気で臥せっていた。見舞いに来た秀吉に半兵衛は、上杉が北国に攻めて来ても、柴田には力添えしない様に忠告する。
千代にとうとう子供が生まれた。女の子だ。申し訳ございませんと謝る千代だが、法秀尼はいたわって褒める。女の子はよねと名付けられた。
秀吉の言いつけを守り旭と一緒になった甚兵衛だが、抜け殻の如き旭の態度に悩み果てて千代を頼ってくる。千代は旭の気持ちを受け止め、赤子の様な心にお戻り下さいと言う。母を目の前で斬られた千代の言葉に旭は心を動かされる。「この乱世に生きる者は誰でも辛いゆえに己を慰めて生きるのだ。」と言う千代に続いて甚兵衛は、「泣きたければ泣け、怒りたければ怒れ。怒ればきっと楽になる。」と言う。旭はぼろぼろと泣き出し、二人の様子を見て、千代はほっとする。
戦から帰り、ようやく一歳の我が娘と対面することができて喜ぶ一豊。だが、肝心のよねがなついてくれない。
ある日一豊と千代は、光秀の坂本城に呼びよせられ、大きくなった光秀の娘、玉(後の細川ガラシア)と会う。嬉しそうに我が子をながめる光秀と、ひとときの時間を過ごして来る。
信長は濃姫に、自分の地が天下のへそになると得意気に言い、謙信も自分にひれ伏すだろうと豪語する。濃姫は、いくら戦に勝っても傷の痛みが分からぬ者に民の心はついてこない、人の心をお忘れになってはなりませぬと信長に訴え、怒りを露にする信長に対し、これが子供を作れない自分のできることだと言い放つ。
柴田勝家は、謙信との戦に援軍を要請する。半兵衛から言われた通り、近江こそ決戦の場にするべきだと秀吉は信長に進言するが、信長は秀吉に北国出陣を命ずる。
北国に赴いた秀吉は、勝家と考えを戦わせた挙句、そりが合わずに帰って来てしまう。秀吉への信長の怒りを知った千代は慌てて半兵衛を訪ねる。

レビュー
よねの誕生に人々の思いが重なり、旭姫の嫁入りなど人情の機微に溢れた回だ。登場人物の爽やかさも手伝い、時代の息遣いが聞こえている。戦乱の中、あやまち、まちがいを後生大事に箱の中にしまってしまう人間のつれなさに新しいいのちが対比され、すべての歯車に油を差すべしという大石氏の思想が感じられる。



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2006年04月30日

大河ドラマ 功名が辻 第十六回 2006年4月23日放送 あらすじ&レビュー

第十六回 長篠の悲劇
天正三年(1575年)5月、信長軍は長浜を出陣する。出陣する一豊に向かって、「お命は必ずお持ち帰り下さいませ。」と念を押す千代に一豊は、「命を無事に持ち帰ることが出来たら此度の戦は我が生涯の節所となろう。」と言う。「御武運信じております・・・」千代は一豊を見送る。
戦場では丸三日雨が続いていた。「いつご出陣を?」と尋ねる秀吉に信長は「雨に聞けい。」と言う。





























秀吉の元で腕を振るっていた源助に長篠の柵を作る命が下る。千代、なか、旭は反対するが、ねねは秀吉を庇い、源助は自分の腕が何かの役に立つならと、作事仕事に意欲を見せる。千代も出向くといい出すが一豊は制止する。源助は旭を説得して戦場に赴く決意を固める。後日ねねは千代を呼び、「四百石の武将の妻として誰の気持ちを第一に慮るべきか考えよ。」と、叱責する。
源助の的確な指示で、柵は半日で作り上げられた。鉄砲を使うという信長の作戦に気付いた一豊は六平太に、「殿もやっと頭に血が巡って参りましたな。」と言われる。源助は一豊の従者に従われて戦場を離れる。
長篠の戦いは信長の勝利に終わる。だが一方で、山内家には六平太が源助の死のしらせをもって帰ってくる。源助は自分の作った柵を見ようとして流れ矢に当たってしまったのだった。
信長の軍隊が帰ってくる頃、千代に子供ができた事を知った小りんは長浜に飽きたと言い、姿を消す。一豊は源助を死なせてしまった我が身を恥じ旭の前で自害しようとするが、秀吉が現れ旭にひれ伏し、一豊と千代を帰す。
旭は千代に会いたいと、山内家を訪れる。千代は「タゴサク」という雀の真似をして旭を笑わせ、旭の心を慰めようとする。
秀吉の気持ちで、旭には副田甚兵衛という男に嫁ぐ話が。気が乗らない旭を案ずる千代。そこへ義父市乃丞の重篤のしらせが入る。千代から子供が出来たと知らされた市乃丞は、「冥土の土産が出来た」と喜び、翌日息を引き取る。稲葉山落城を生き延びて八年後のことだった。

レビュー
千代の朋友になっていたかもしれない旭姫の悲劇。長篠に新しい時代の幕開けを轟かせたいくさだったが、無駄に一つの命が無くなった事をいかに周囲が受け止めるかという、各々に苦い教訓を与える回である。旭姫の手を取って泣きじゃくるかと思えば新しい側女を探したりと、アンバランスな態度の秀吉。この物語の中ではどこか心がイッてしまっている男として描かれており、それだけにねねの役割が重くなっている。それでも、たとえチンケと言われようが夫婦は一つ。不思議な表裏で繋がっているのである。
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