2006年01月08日

新春ドラマ「きみの知らないところで世界は動く」 2006年1月2日放送 あらすじ&レビュー

あらすじ
北村和哉(鶴見辰吾)が、高校の同窓会のため故郷宇和島に帰ってくる。
40歳を過ぎ、中学3年生の息子を持つ父になった和哉だが、「進学したくない、大人
になりたくない」という息子のメールに返事を出せずにいた。今の自分は、高校時代の
自分から見てどんな風に見えるのだろう。70年代後半、和哉にはテツガク好きな親友
と大好きな彼女がいた。のどかで幸せな高校時代。ただ、自分は、親友の心の闇にも、
彼女の細い神経がいまにも切れてしまいそうなことにも全く気づいていなかった。そして、
仲良し三人のうち、一人はもう同窓会に出席できない。
「きみは今の私をどうみているんだろう。空の上から・・・」

高校時代の夏、和哉(細田よしひこ)は、牛鬼祭りを前に、杉浦カヲル(前田亜季)に
プロポーズする。厳しい父親の影響で、少し気後れな部分はあるものの、カヲルも、
和哉を愛しており、二人は宇和島城の天守閣前で結婚を誓う。
「自分は世界で一番幸せな男子高校生だ。」和哉は言う。
祭りの日、カヲルの父の許可を得られずに落胆していた和哉は、母(渡辺えり子)から
「女の子の心は壊れやすい、ガラス細工みたいなもの。やさしくしてあげなきゃ駄目。」と
諭される。親友ジーコ(浅利陽介)は、「人間の親はいつまでも世話を焼く。
大人が大人に世話を焼くのだから、もともとうまくいくわけがない」と、和哉をいさめる。
さらにこういい足す。「人は1番好きな人とは結婚できないものだ。一番好きな相手と一緒でないから人は結婚して子どもをつくるのだ。」と。
そこへ、姉のはからいで抜け出すことができたカヲルが現れる。二人は祭りを楽しむ。
深夜の公園、二人見つめあい和哉は言う。
「俺は死ぬまでカヲリを愛している。東京の大学を出たら結婚しよう」
そんな和哉の性格を、すごく心配だとカヲルは笑うが、大学を卒業したら結婚する
ことにうなずく。そして、「死ぬまで一番好きなのは、北村和哉だと思う」と言う。

1977年春、和哉は東京の大学、カヲルは松山の大学に進学するが、ジーコは七つの
大学をすべて不合格になり、それぞれのスタートを切る。
和哉は東京に向けて旅立つ。見送りに来てくれたジーコは、カヲルを見て「最後の別れ
のようだった」と言う。
4ヶ月後、和哉は、カヲルからの手紙に「体を壊してしまい、何も食べられない」と
いう内容の手紙を受け取り、びっくりして宇和島に戻ってくる。
入院したカヲルに涙する和哉に、姉の緑(キタキマユ)は、カヲルの病気は父のせいだ
けではない、カヲルは、一方で自分を叱ってくれる存在を求め、父に依存しているのだ
と言う。
その日の夜、ジーコの家で和哉はいみじくも、「カヲルの病気の原因のひとつはお前に
ある。カヲルのような子は、強い意志を持った人間の遠心力に巻き込まれてしまうのだ。」
と言われ悩む。次の日、和哉は病室にビスケットを持っていき、カヲルに食べさせる。
日に日に元気になってゆくカヲル。だがある日、和哉は、「カヲルは一向に病を治す気が
ない。
この状態が楽でずっとこうしていたいだけ、守られているのが好きなのだ」と責め、とうとう
カヲルを発狂するように泣かせてしまう。カヲルの家族により病室は面会謝絶になって、
二人は離れ離れに。和哉は緑から、カヲルに過食が始まり、はげしい鬱になり手がつけ
られなくなったことを知らされる。
しばらくして、和哉はジーコをつかってカヲルを連れ出すことに成功する。カヲルは元気
な笑顔で和哉の不安をかき消してくれた。「失われそうな夏を取り戻そう」
三人は海で一日を過ごし、思う存分ハメをはずす。その夜カヲルがいなくなったことに気
がついた和哉とジーコは、給湯室の冷蔵庫の前で半立ちになってごそごそむさぼり食う、カヲルの姿を発見する。
「見ないで!」とっさにカヲルはジーコに抱きつく。ジーコは優しく、「食べられるだけ食べ
たらいい。そういうことは君の価値とは関係がない。どんなに食べようが、痩せようが君は
素敵だ。そして君の大好きなこの男(和哉)は、君がどんなになったって愛してくれる。大
丈夫、何も考えるな。」と言う。
翌朝ジーコは、はじめて自分のことを語る。神童と呼ばれ、何でもできた幼年時代。
それがいつのまにか親を裏切ることを目的に生きていた自分。でも結局わざと道を違えるそれしかない。たまらなくこわい。さらにジーコは続けて言う。「正直に言うと、大学はわ
ざと落ちたわけじゃない。親の喜ぶ顔が見たくなって、自分のためだけに生きようとした。
だが神童はさびついてしまった。」と。
そして、「もっとワガママになろう。」と言い、一人シャツを脱いで長い砂浜の向こうに
消えていってしまう。
ジーコはその日の夜、変わらぬ姿となって発見される。
悲しみも癒えぬ頃、漁船の上でカヲルに別れを切り出された和哉は、何も言えずその肩
の重みを感じるだけだった。

あの日以来和哉はカヲルに会うことはなかった。
「結局人は失うことでしか大切なものに気づかないのかもしれない。」

夜、和哉は同窓会に少し遅れて現れる。懐かしいクラスメートの中に、カヲルはいた。
健康なカヲル。結婚して、子供も作っていた。
二人は、時間が流れても愛が変わらなかったことを知る。
「ジーコ、君の知らない世界は、そう悪くはないぜ。」

帰りの汽車から、和哉は自分の息子にあのメールの返事を出す。




レビュー

原作は「世界の中心で、愛をさけぶ」の片山恭一氏、脚本は岡田恵和氏。それぞれの
分野で人気を博す二人だ。
両氏の共通点は、事象の巧みな客体化と、自分達の住むこの現実世界を肯定したい、
完結したいという強い欲望にあるといえるのだが、どうすればこの世界を繊細な目で眺めながら同時に肯定できるのか、それが永遠の謎だということも強烈に感じさせてくれる。

何かを見つけるためには、何かを「する」ことが必要だ。若くみずみずしい感性は
年齢と共に色褪せてしまい、何か別のいいものに転化しようとする。その時感じる
疎外感、それはいったい何なのだろう。ぎりぎりのところで生きる人間は、何もないものに押しつぶされたり、予想以上に窮屈な孤独をおのが手に抱えている。片山氏
にとって「する」ことは、岐路に立った人間がどこまで自分を見渡せていたのかという
ことの確認でもあり、岡田氏にとっては、その確認こそが心に留まる生きた台詞な
のだろう。

四十歳の「親」になった主人公は、息子の危機的状況に、そろそろ人間の根源的な
弱さについて教えてやるべきか、迷っている。そんなくだりから始まる。
若い頃の彼は楽天的な青年。親友にいいところをもっていかれようが、彼女がわけの
わからない病気になろうが、自分はまちがいなく世界の中心にいる。そして彼らの
愛情を感じて生きている。そう信じることのできる恵まれた青年だ。
(そのかけがえのない眩しさを、和哉役の細田君は天才的に表現していたと思う。シラ
ケ世代と言われたあの頃、あのキャラは実に少なかった。ましてや恥ずかしげもなく愛
を語るなんて、とてもできる時代ではなかった。)
登場する三人はいずれも片山氏の分身だろう。そしてそれぞれ別の何かに惹きつ
けられながらそれぞれの生を生きてゆく。感興主義にひそむ空洞。
しかし、その空洞のすきまを埋めるひとつひとつのカケラからきっと、自我は目覚める。
謎は解けてゆく。そう言いたかったのかもしれない。

「オラこんなとこいやだ・・」「おやじの海もイヤだ」
こんなことを思ったか思わないかは知らないが、とにかくジーコは永遠の世界へ逃げて
いってしまった。
神様に続く門の前で人は逡巡するか、立ちすくむかしかない。虚しい言葉を教条のごとく
のたまわねばならぬ父親という役回りにおいても主人公は、その柔らかい自我で「人生は悪くない」と言ってのける。その崇高に似た感情は、ずるさ弱さからきているのではなく、もともとひとつの完全体として人に備わっていたものなのかもしれないと、そう思わせようとするのだ。そしてそんな彼に、人妻となったカヲルは「世界で一番」と言う。
(コンチクショ、私にはあまりに間口が狭い世界ダ・・)
とにかく、「残されたものの日常」という問題を差し引いても本作は十分に重く、なおかつ
人間の光と闇に真摯に向き合った作品だと、私は評価したい。またこの脚本化は
岡田氏にこそ可能な作業であって、いつかまた彼の作品に、世界へのもっと強い結び目を見つけたいものだと思う。


追記
私にも高校時代、神様をよく口にする友達がいた。国語の教師になったということは知っ
ているがその後の彼や、美しく暗い青春に語り合った友達にも長らく会っていない。ただ
あの面々にして、私ほどバランス感覚がない男はそうないんじゃないかとあらためて思っ
ている。



原作 片山恭一
脚本 岡田恵和
制作 越智篤志
演出 松園武大
主題歌 ニール・ヤング 「Heart of Gold」



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posted by 綾悦 at 18:33| Comment(1) | TrackBack(2) | 2006年 スペシャルドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月05日

新春ドラマ「里見八犬伝」2006年1月3日放送 あらすじ&レビュー(後編)

前半のストーリーはこちら
http://mitachan.seesaa.net/article/11290025.html

後半のストーリー
阿房国富山、義実(長塚京三) の元に引き取られていた親兵衛(山下翔央)は、
仁の玉を持つ八人目の犬士であるのだが、まだそれは知られておらず、風を使う少年
として大切にされていた。親兵衛は伏姫により、浜路が妙椿に捕らえられたことを知る。
仇討ちのため道節は一行と離れ、荘助・小文吾と信乃・現八はそれぞれ別行動に。
山賊がでるという山で、荘助・小文吾は千葉家重臣馬加大記(佐野史郎)に出会
い屋敷に招かれる。そこには智の玉を持つ毛野が、踊り子にまぎれ、馬加大記に復讐
を企てていた。馬加大記は、道節の仇でもある扇谷定正(大杉漣)の家臣、籠山逸
東太(武田鉄矢) と手を組もうとしていたが、度重なる悪事が報い、あっさりと毛野に
殺される。
分かれた信乃・現八は化け猫が出るという山で、幽霊に会う。礼の玉を持つ犬村大角
礼儀(勝地涼)の父、赤岩一角(陣内孝則)である。すでに一角は化け猫に命を落
とされ、父親の姿を乗っ取られてしまっていた。息子大角は父を疑わず、化け物の言い
なりになってしまっている。一角の頼みはどうか息子の目を覚ましてやってほしいというも
のだった。化けた父は、道節を思いながらも妙春に取り込まれてしまった船虫(ともさかり
え)をめとり、大角の肝を奪おうとしていたが、ちょうどそこに信乃・現八が現れ、危機を救
われる。やっとのことで目を覚ました大角は、一行に加わる。続々と犬士が終結していく
中で、妙春は船虫を道節のもとに差し向け、道節から亡きものにしようとするのだが、
船虫は道節の献身的な姿に打たれ、自らの命を絶つ。
妙春に捕らえられていた浜路はゝ大法師に助けられるが、追手が迫り法師は深手を
負う。ようやく揃った八人の犬士達が駆けつけた時には、法師はすでに虫の息だった。
法師は死の間際、手塩にかけて育てた親兵衛が仁の玉を持つ最後の犬士と知り
亡き妻に導かれるように息を引き取る。
最後の戦いで、大軍を相手に八犬士はめざましい働きで里見軍を勝利に導く。
妙春は里見義実と対峙し、長年の怨みを果たそうとするが、駆けつけた信乃達に
より、八つの玉の力によって殺される。滝のほとりで目覚めた妙春は、伏姫により「あな
たはもう死んでいる、後のことは後に生きるものに任せましょう」と教えられ、成仏していく。
戦いは終わり、里見家に平和が戻り、信乃と浜路は祝言を挙げる。

後半のレビュー
倫理を失いかけた世の中で、人間が人生の本当の価値を知り、許し合い、平和を
取り戻さねばならぬという、とても高尚なお話。限られた時間内で、犬士達の人生を
結びつけ合わせていく困難さが伴うが、格調高く仕上がっている。
物語の基盤となっている美徳をどれだけ私たちは自分のものとしているだろうか。
人はひとりでは生きていくことができず、絶えず時代・人の波へより戻されていく。
この物語において、人はたゆたいの心をかなぐり捨て、勤勉さにたよって戦わねば
ならぬという、やまとごころの二極分化が現代的に描かれている。これを見て、日本
のニート達が「春色のセーターでも買って、何かはじめようか」と思えるか、思えたら
作り手の勝ちである。「おたく」達がその前向きな運動を一つの浄化能力として評
価されえるように、くすぶる若者に対して、また違う何かを訴えているように思える。
最後に国主里見義実は「終わりはある。今だけでもそう信じる。」と言う。私もそう、
信じたい。最後にある世界の鍵を示すことはできる。けれどここにただ青い空があって、
その情緒を自らの身をもって証明できたら、それは、鍵を手に入れるための虚しい
戦いよりいいことなのではないだろうか。そんな風に思う人、どれ位いるだろうか。
あ、それから伏姫と妙春の成仏シーン、何か二大女優の相互セラピーのようで、
名シーンになってました。この二人、これからも絶好調でしょうね。

私はというと、新年早々カゼで倒れた。そら見たことか。


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posted by 綾悦 at 13:57| Comment(1) | TrackBack(16) | 2006年 スペシャルドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月03日

新春ドラマ「里見八犬伝」2006年2月2日放送 あらすじ&レビュー(前編)

ストーリー
木々の間を縫って逃げてきた女伏姫(仲間由紀恵)が、滝のほとりでうずくまっている。
世は戦国時代、阿房国(現在の千葉県)のお話。
国主山下定包(佐々木蔵之介)と妻・玉梓(菅野美穂)の悪政は贅沢の限りを
つくし人々を苦しめあちこちで飢えと貧困が蔓延するが、里見良実の反旗により、定包
は討ち取られ危うく国は救われる。玉梓も捕らえられ義実に命乞いをするが、家来の
進言により命を失う。その際玉梓は生まれ変わり、末代までたたってやると遺し、その場
から消える。その後、凶作・姫の誘拐などが相次ぎ、国は暗黒に覆われ、ついに滅亡
の危機に瀕する。ただ独り希望を託され逃げてきた伏姫は滝のほとりまで追い込まれ、
玉梓の呪いと対面する。伏姫は玉梓の霊により、伏姫には男の煩悩によって孕んだ
8匹の犬の子が腹中におり、生むがいいと迫られる。伏姫は自らの腹を裂き、悪徳の
宿る玉飾りは、それぞれ信義忠信礼悌智仁に分かれ、世界に散らばる。

時は過ぎ、武蔵大塚村。
考の玉を持つ信乃(滝沢秀明)は10年後、逞しい男子に成長、浜路(綾瀬はるか)
は信乃を許嫁として慕っている。父親犬塚番作(杉本哲太) は病が悪化、信乃に
名刀・村雨を託して息絶える。信乃は父を失い悲しむが、伏姫が夢に出て来て、「あ
なたはもう独りではなく同じ玉を持つ仲間がいる」と言う。夢から覚めた時、主人の命令
で村雨を盗もうとした大塚蟇六の下人、犬川荘助義任(佐藤隆太)と打ちあい、とっ
くみ合いになるが、荘助が自分と同じ痣を持つことに感じ入り、同じ縁(えにし)の武士
の子、ー義兄弟として互いに身を守る約束をする。なんとか村雨を手に入れたい浜路
の父母は、娘をダシに網乾左母二郎(田辺誠一)を利用して村雨を盗もうとする。
網乾は盗んだ刀を自分の元にとどめ、偽の刀を渡すのであるが、信乃は何があったか
も知らずに偽の刀をさげて旅に出る。浜路は信乃が帰ってくるのを待つ決心を固める
が、両親が自分を代官簸上宮六(渡辺いっけい)に嫁がせようとすることに絶望し、
首を吊ろうとする。網乾は浜路の命を助けるがそのまま浜路を自分のものにしようと
連れ去ってしまう。道すがら浜路を助けたのが、忠の玉を持つ犬山道節忠與(小澤征
悦)だった。自分の使命を示す玉が己の体内から湧き出したことに、道節はいぶかし
さを覚えるのだが・・。さて、偽の村雨を献上してしまった信乃は、足利成氏(京本
政樹)に怪しまれ、捕らえられかけるが、断固としてそれをはねつける。用心棒の犬
飼現八信道(押尾学)とはこの時一戦を交える。が後に犬田小文吾悌順(照英)の旅
籠で、ゝ大法師(渡部篤郎)の仲介により信の玉を持つ男だと分かり和解。3人で大塚
村の荘助の元へ向かう。
その時、通りがかった村で芸者の一行を見かけるが、踊子達にまじって犬坂毛野胤智
(山田優)がいたことに、信乃は気付くことができなかった。大塚村に戻った3人は、主人
を殺した代官の仇討ちをしたことで、汚名まで着せられ処刑されるところだった荘助を助
けるが、もはやおたずね者として身を隠すハメに・・・
一方、道節は仇討ちを果たすものの、それは偽の影武者だと告げられ、ゝ大法師の導き
により仲間たちの存在を知る。このゝ大法師は、八犬士を身ごもった伏姫と添い遂げる筈
だった男なのだが、剃髪し僧となって、八つの玉を探す旅をしていた。
ここに、5人の犬士がそろう。信乃は浜路の刀を持つ道節に、浜路の行く末を訪ねるが、
今どこかで生きているかもしれないとしか答えられず、村雨を携え、仇討ちの目的のため
戻ってゆく。
その時浜路は、妙春(菅野美穂=二役)の差し向けた忍の従者達に狙われていた。
(後編に続く)


前半のレビュー
新春の大型ドラマ。脚本は「だいじょうぶだあ」の大森美香(今タイプで「大海苔」と打
ってしまった)氏。OLからADを経て運をつかみ、一気に脚本家・監督まで上り詰めた、
私から見ればいわば雲の上の人のような出世人であるが、そこここで、味のある仕掛け
を出してくれるのが、人気の理由だと思う。ルーチンワークの煩わしさを一通り経験しな
がら人々に対しての心配りを忘れないということを学んだだとか、そんなインタビューを
きっとどこかで見た。転職の厳しさを体験したり、辛いことがあったり、見たくないものを見
たりしてきたのだろうと思う。出だしで妖女と烈女の対話が人の世の果てのような場所
で交わされる、まさにそこでこそヒューマンなやりとりに、見る側はこのドラマのテーマ「勧
善懲悪」に影が色づき、さらに新しい息吹が吹き込まれたことを感じる。それは女性が
ただ受け身としてではなく、自らの運命を決断し、前向きに進んでいこうとする時代の
象徴なのかもしれない。管野美穂の化け猫ぶり(あぐらをかいてくだを巻く如きナイステン
ションで)は、昨年の連続ドラマ「あいのうた」をそのまま持ち込んだような風格あるもの
だった。猫のしっぽを踏んだ時、猫がどれだけ凄い声でその痛さを訴えるか、みなさんは
知っているだろうか。それはゴールデンイーグルスの1シーズン100敗など寄せ付けな
い、じつに驚異の叫びであるのだ。

管野さんはそんな感じだった。まあ、言うに及ばずだろうけどね・・

(追手として玉梓を討ち違えたゝ大法師に)
玉梓「何と愚かな、自ら愛するものを討つとは。(あざけり笑い) そう。これが人間の姿
じゃ。欲と憎しみは己に帰りそしてまた呪いが生まれ、争いは永遠に続く。それがすべてじゃ」

フムフム。饒舌なのかもしれないが熱のある名演技が名台詞に異化していると思う。
この世界観が物語のテーゼだ。っというか最初のクライマックス。シベリアンハスキー顔
で恐いことをのたまうさまに地獄の一風景が見えかくれする。

序盤から一気に物語に引き込み、2時間半飛ばし続けたが、批判にあたると思しきもの
は見当たらなかった。ただ、ともさかりえ演じる哀れな船虫ちゃん、単なる思いつきでつい
た役ではないのだろうが、大森さんの怒りパワーを、この女性を通じて是非見てみたい
ものである。この娼婦とロマンスするのが道節なのだが、筋骨隆々、ハタマタオラウータン?
の出で立ちながら、ハン流の匂いたちこめ、みずからの運命と相対する。今年一番目の
「そら見たことか。」にしておこう。

主役陣はじめ豪華キャストなので、皆語ると大変なことになっちゃうからとりあえず、、コノ位に。


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訂正 船虫ちゃんについて
posted by 綾悦 at 14:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 2006年 スペシャルドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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