2008年01月20日

TBSドラマ「だいすき!!」第1回 2008年1月17日放送 あらすじ&レビュー

障害者のワークセンターに通う福原柚子。軽度の知的障害を持っていたが、同じセンターで働いている、同じ障害を持つ沢田草介と恋人同士。実は、柚子はすでに草介の子供を身ごもっていた。だが、草介はある日、事故で突然この世から居なくなってしまう。頑なに子供を生むという柚子に母の美代子は猛烈に反対するが、弟の蓮は子供を産ませてやりたいと言う。小さいときからいじめられる姿を見ていた蓮は、姉に好きな人ができて嬉しいと思っていた。だが、何よりもかけがえのない我が子が子供を産み育てる苦労を負えなどと、美代子には言えるはずがない。それが「お母さんみたいなお母さんになりたい」という柚子の一言で心を動かされ、美代子は柚子を応援することに。そして柚子は女の子を出産する。
草介の忘れ形見を、柚子はひと時も離れず大事にするのだが、保健センターの勝川は、柚子の育て方は乱暴で、何か事が起こる前に、施設に預けるべきだと言う。三ヶ月検診の日、柚子は離乳食の本に夢中になるあまり、赤ん坊を置いて一人で列車を降りてしまう。幸いにも居合わせた女子高生に保護され事なきを得る。この事件に対し、勝川は柚子の子育てに対する熱心な姿を目の当たりにして、「あなたのその愛情で、ひまわりちゃんをしっかり育ててください。」と考えを改めるのだった。

人は生まれ人になり、そして人を産み育てていく。そういう人生の営みを、「障害者」の自立を通して浮かび上がらせているドラマ。脚本の篠崎絵里子氏については、受賞歴こそないが、「クロサギ」「いま、会いにゆきますTV版」などの印象的な作品を手がけており、きっと何か目に見えないこだわりに満ちた人なんだろう。こんな作品を手がけるチャンスを謹呈された栄誉を感じていると思う。
なんともカラフルな第1話を見たが、障害者問題を遡及する観点から見れば、「あんたに分かるものか」というところまでいきそうではあった。胸を張って生きる柚子の姿が向き合っているもの、それは社会という複雑怪奇でドロドロしたものではなく、自分自身の愛であろう。繰り返しばかりの人生を、時を忘れるほどにせいいっぱい吸い込みながら、母としてのありったけを見せてゆく柚子の姿。
彼女は「障害者」だが、子育てのマニュアルを一句一句暗唱したり、我が子への心情を切々と訴えることのできる、とっても心の健康な、救いのある女性である。そこにはすでに、「分析できる自己」「余剰を働かせる自己」が存在していて、どんな見地で考える算段だとか、どんな配分で生きるがいいのかという問題意識を捉えている。しかしそこでぶつかるのが社会のものさしや、コミュニケーションの問題だ。それは時として、人としての生き方にケチをつけ、あるべきものを生煮えで押し付けようと巡回している。その所謂「巡回、コミュニケーション力」なるものが、理由もなく安易な正当化として掲げられる昨今の状況を対置する必要はないだろうか。このドラマで作り手側は、「巡回」することではなく、その反対である「内に留まること」を示唆しており、私ははじめ、そのこだわりに興味を抱いた。否定してもしきれない素のものを、まっさらな気持ちで眺める、その一工程がなければ、到底「いのちの思想」にはなりえないのではないだろうか。それはさらに、道は自然についていくのではなく、自らの潔癖なひたむきさが呼び込むものなのだという、説得力のある人生哲学にもつながっている。

というわけでありまして、「そこまで言わいでも」って程滔滔と述べてしまったが、次回以降が楽しみだ・・・。ウンウン。

追記
企業の求人募集欄によく「コミュニケーション能力」とあるが、この言葉には常にオエッとなってしまう。なにか個人を歯車にするための体裁のよい言葉に聞こえてしまうのだ。ガチガチに着飾った「コミュニケーション能力」がなくてもいいんだ。このドラマではその辺りを表現してもらいたい。
posted by 綾悦 at 22:43| Comment(17) | TrackBack(0) | 2008年第1期ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月12日

TBSドラマ「エジソンの母」第1回 2008年1月11日放送 あらすじ&レビュー

離婚して息子と共に上京して来たばかりの花房あおいは、ノーベル賞を授賞したわが子が式典でスピーチする夢を見ていた。夢から覚めた母に、息子の堅人は、「どうして僕はどんどん大きくなるのにママは大きくならないの?」と問う。あおいは「ママは充分大きいから」と答える。
こちらは大人の話。鮎川規子は婚約者から別れを切り出されている。「君は可愛いし綺麗だし自慢できる。だが面白くない。」婚約者の美浦はそう言い、規子を家事機能のついたバービー人形だったと酷評する。その様な人形よりいっそキャベツ人形の方がましだ。僕はもっと人生を楽しみたいんだと美浦。
規子の模範人生は、小学校の教師であるためかもしれなかった。今日も朝の職員会議に模範的な回答をしてしまう自分がいる。学年主任の加賀美も、そんな規子を頼りなく見ているみたいだ。
さて、あらぬことかそんな規子のクラスに「問題児」の堅人が転向してきたのだった。初日から堅人は規子を悩ませる。「なぜ1たす1は2なのか?」杓子定規な規子に、堅人は納得しない。ミカン1個とミカン1個を足しても2個にならないと堅人は主張する。左のミカンを割って2個にしたらあわせて3個になるというのだ。さらにその房を取り出したら、1たす1は9になり、さらに・・・。チョークを片手に割って入った加賀美の弁護も効き目及ぼすどころか、烈火のごとく怒りをたたえた頑なな怖い大人の姿がもう1つ増えただけ、とうとう教室は、はちゃめちゃになってしまう。
次の日、規子から堅人のことについて聞いた美浦は、堅人に興味を示す。嘘と本当にまつわる堅人のエピソードは、そのままソクラテスとプラトンの自己言及のパラドックスであり、それに気がついた堅人はもしかすると天才かもしれないというのだ。
夜、堅人の家を訪れる規子は、母あおいと対面することに。堅人は沢山の本に囲まれて、何かに熱中している。規子は、堅人は学習障害なのではなく本当は勉強が大好きなのだと知らされる。
加賀美にあおいが呼び出された木曜日、それは理科室で起こった。堅人は家で読んだフランケンシュタインの物語にあるがごとく、人体模型に電流を流して立ち上がらせようとする。動くマネキンを窓越しに見た加賀美が悲鳴を上げ、そこらじゅう大騒ぎに。床にたたきつけられた人体模型はバラバラになってしまい、堅人は大目玉を食らう。だが、その場に居合わせたあおいは堅人をかばい、この子のキラキラした好奇心を見守ってほしいと加賀美に懇願するのだった。その姿を見て心を動かされる規子。
規子は、堅人と2人きりで話をしてみる。1+1=2 これはただの決まりごとだということなの、とりあえず。あきらめたように言う規子に、堅人は「分かった。」と言う。あおいが父と離婚した時、「とりあえず」前に進むと色々なものが見えると言われたことを思い出したのだ。堅人は、1+1=2 だと分かったら何だか楽しくなってきたと笑う。複雑なものがほぐれた気持ちになって、規子の頬には和やかな涙が。
問題解決の矢先、大事件が。教室に入ってきた規子の目の前で、鳥の真似をした堅人がベランダから飛び降りる。

脚本は大森美香氏。「引き出し」を感じさせる人だ。複雑な相を呈する事象に氏の待ち針が何気なく刺さるや、あるイメージが両輪で膨らんでゆく。それはたとえば線を引いたり、光を当てたり、小箱にしまったりといった、言わば、「今、何かするべき」ことを示すものだ。同時にそれは、殻に閉じこもった存在にも誠意ある対話を促す。何かについて語るその呼吸感は、「あること」への根本的な反省の姿へとつながっており、これからの展開にも目が離せない・・。とろっとした表情で下を眺めていた堅人、ヴァーチャルな世界から傷つかず無事に巣に戻ってくれるだろうか。そして7歳の子にのしかかる重圧を蹴りとばしてゆくあおいの活躍度は?「見られる側」から抜けきらないOL風情の規子に飛躍はあるのであろうかっ?あと、本当の勉強の楽しさとは・・。いったい大人が子供に与えてやれるものとは何と何?そしていつ、キングスクロス駅の9と3/4 番線は見つかるのだろう。そんなとこかしら。
迷える子羊各位、ひとつひとつ要注目である。ある観点と違う観点から見た世界は「まったく違ったものに見えうる」のだから・・・。
posted by 綾悦 at 14:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 2008年第1期ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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